注:此为本学期影视欣赏的一篇作业。
先週は「走れメロス」というアニメを見ました。インターネットで調べてみたらどうも1979年フジテレビによって製作されたもので、もう30年以前のアニメのようです。画像も声ももやもやとして、はっきりとしていませんが、一応がんばってみました。
このストーリに登場する人物は主に三人います。つまり主人公であるメロスと彼の親友であるセリヌンティウス、そして悪玉として登場する人間不信の王様。
ストーリそれ自体も簡単で分かりやすいと思いますが、あらすじというと、素朴で正義感の強い青年メロスは人間不信のために多くの人を処刑している暴君のはなしを聞き、激怒し、そして王の暗殺を決意しました。しかし、あえなく衛兵に捕らえられ、即刻処刑されることになってしまいました。そこで、メロスは妹の結婚式に出るため、三日間の猶予を請求したが、王様は納得できませんでした。仕方なく、メロスは親友のセリヌンティウスを人質として王のもとにとどめおく事を条件に、猶予を得て実家に帰りました。
「死ぬために再び戻ってくるなんて馬鹿なことは決してありはしない。」と、王様が断言しました。
妹の結婚式が無事に挙げました。メロスが王のもとに戻る途中、洪水だの、王が送った兵隊だのいろいろひどい目にあいました。メロスはそのために心身ともに困憊し、一度は王のもとに戻ることをあきらめかけました。しかしその時、メロスは自分自身が、かの人間不信の王がいう「醜い人間」そのものである事に気づき、再び走り出しました。
「人間不信の王を見返すために、自分を信じて疑わない友人の命を救うために、そして自分の命を捧げるために。」
こうしてメロスは日暮れに町へ到着し、約束を果たしました。そして王の気持ちを変える事にも成功しました。
このストーリ自身は簡単だけれど、人を啓発し深く考えさせるところがやはり多いです。そこで、この作品に注目しなければならないところは三つあると思います。
その一つ目はメロスと親友のセリヌンティウスの間の関係です。ストーリの展開から見ると、メロスとセリヌンティウスは始めから深く信じあっています。セリヌンティウスは自らの命をかけてもメロスの保証人になろうとしていました。そのときの二人の信頼は絶対的でした。
ここは二つ目のところになりますが、王様の人間像です。王様は二人の信頼をぐらつかせる為にいろいろとても汚い、とても卑怯な手を打ちました。たとえば、メロスを消そうとしたり、セリヌンティウスを動揺させるためにかれの作品で驚かしたりしました。二人は驚かされても、死に掛けてもその深き信頼は一刻も変わりやしませんでした。
ですが、処刑間近に迫ると、メロスを始めに心を許せる二人の気持ちは変えてしまいました。一連の不運を経たメロスは転んで、王も元に戻るのをあきらめかけていました。なかなか来ないメロスを待っていたセリヌンティウスもメロスのことを疑い始めました。
幸い、メロスはすぐ悪夢から目を覚まし、再び走り始め、セリヌンティウスを救いました。
「悪魔の囁きだ!」
そこで二人とも相手に自分を殴らせて、自分の過ちを認めて謝りました。王様も感動して、二人の厚き友情を認めました。
人間は本当に弱い生き物です。その心も体も弱いです。ちょっとしたことだけで人間の間の信頼がたやすく崩してしまいます。ですが、人間は自分の犯した過ちを知って初めて強くなり、自分の罪を反省しながら進歩しつつあります。これも作者の太宰治先生が私に伝えておきたいことだと思います。
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天高く、雲は流れ 随想 第一号
当当当当~~~天高云流随想第一号终于出来啦~以后也会不定期贴出来,写一些我对于天高云流的感想和翻译注释。
首先是我与这部小说的邂逅。高三某日……在网上闲逛的时候,在某个日本CG网站上看到了飞龙大叔的CG。
“好王道的大叔……”
立刻被飞龙大叔那个超强的笑容捕捉了……于是就用日本google搜索了“フェイロン”,找到了这个小说。
再讲讲买这部小说吧。因为蓄谋已久了,所以一拿到奖学金就……忍不住买了。囧……几乎将奖学金花干净了。
嗯……再讲讲翻译的事情吧。因为在柜子里押了半年,所以这学期就下决心开始读+开始翻译。不然太浪费了。
下面是序言到第一章第一节的注释:
1.有读者问过我“弓笼手”是什么东西……事实上我也不知道,翻译的时候也只是按照原文中的“弓籠手”直接对照下来的。不过看了插图或许会明白,应该就是飞龙小臂上那个类似护臂似的东西。网上对于弓箭手护具之一的“护臂”的解释是“护臂戴在左边的小手臂上,是为了防止弦弹回打手臂。”或许会有助于大家的理解。
2.关于句式:因为日本人喜欢说话委婉一些,所以小说中也大量使用了“ように”之类的表示肯定推量的句式。我觉得在这些句子中,“ように”表示推量的作用已经很小,而抒缓语气、让如期更委婉的作用则比较明显。虽然是表示语气的词语,但是如果不翻译有时候会很难办,所以译文中就大量出现了“像……一样……”、“好像……”之类的句式。汉语和日语的语言习惯不同呢……
3.关于称呼:在序章的译文里面同时出现了对飞龙“爸爸”和“父亲”的两种叫法。原则是这样的:因为悠法是比较乖、懂礼貌的孩子,所以在对话中以及跟悠法关系比较密切的描写句中,对飞龙的称呼采用了“爸爸”的叫法,其余的客观性比较强的句子,则采用了“父亲”,用以强调飞龙的身份。之后也会是这样。
4.关于译名:译名全部采用音译。在我还没达到黄素封先生那种超强的境界之前,还是用比较“官话”的音译比较好。(在黄素封先生翻译的《亚瑟王之死》中,两大骑士之一的Tristam的名字被翻译成了“崔思痛”,似乎被认为是比较好的翻译方法。)
5.对话翻译:日语是语气词和敬语比较发达的语言。不用身份、等级、关系的人之间说话,用词、句式以及句尾语气词的使用都会发生变化。这些非字面传达的信息,比较难以用汉语表达出来。中国人说话,似乎也很少加上“哦”、“噢”、“呢”、“咯”之类的语气词。我会尽量做到把对华的所以看的时候只能请读者尽量结合对话的场景想象说话人的语气喽……
这次要说的大概就这么多 以后有什么感想、注释之类的还会通过“随想”的方式贴出来,也请大家留意。最后感谢大家抽出时间来看我翻译的东西,虽然水平不太高 。